セルビア議会で新政府の発足が議決され、新外相にはマルコ・ジュリッチ氏が選出されました。
新政府閣僚は、ミロシュ・ヴチェヴィッチ首相を筆頭に、セルビア議会で公式な宣誓を行い、その4年間の任期を開始しました。アレクサンダル・ヴチッチ大統領も宣誓式に出席しました。
政府閣僚の面々が職務に就く際に行った宣誓は次のとおりです。「私はセルビア共和国への忠誠を誓い、名誉を持って憲法と法律を尊重し、政府の一員としての職務を誠実に、責任を持って、そして献身的に遂行し、セルビア共和国の一部たるコソボ・メトヒヤの保全に尽力することを誓います。」
セルビア新政府は31名の閣僚で構成され、そのうち5名は無任所大臣です。
新外相のマルコ・ジュリッチ氏は、アメリカ合衆国におけるセルビア共和国の特命全権大使としての役職から外務大臣に就任しました。
2020年から2024年までの駐米大使としての在任期間中、ジュリッチ氏は共和国大統領と政府の支援を受けてセルビアとアメリカ合衆国の二国間関係の新たな段階の基盤を築き、アメリカ合衆国におけるセルビアの外交的存在を再構築しました。
ジュリッチ氏は、スリナム、アンティグア・バーブーダ、コロンビア、セントクリストファー・ネイビスの非常駐大使としても初めて任命されています。氏はカリブ海諸国連合のオブザーバー、米州機構の常任オブザーバー、カリブ共同体および共同市場でのセルビア共和国全権代表も務めました。氏はアメリカ・セルビアビジネス協議会の設立を提案し、ワシントンの外交執行委員会の理事会メンバーも務めました。
駐米大使としての任期中、セルビア議会における友好議員連盟のメンバー議員数も大幅に増加しました。セルビアの外交史上初めて、氏は在米セルビア人ディアスポラの集会を組織し、「絆の強化」という戦略的プラットフォームを作成しました。ここではセルビア人ディアスポラと祖国とのつながりを再構築し、アメリカ合衆国におけるセルビアの国家と国民の利益を促進し、代弁するための継続的な取り組みが目的とされています。
2012年から2014年まで、ジュリッチ氏はセルビア大統領の最年少顧問を務め、大統領府の外交政策チームを率いていました。氏はEU加盟交渉プロセスにおけるセルビアの第35章に関する交渉チームのリーダーを務めました。
この期間中、氏は今日セルビアで第一次世界大戦の休戦記念日の象徴として広く認知されている「ナタリアのラモンド」のエンブレムをデザインし、共同設計しています。
新外相は、2014年から2020年までの6年間、コソボ・メトヒヤ担当局の局長を務めました。
同局局長在任期にはそのチームを率い、国内避難民、帰還者、社会的弱者の人々のために、コソボ・メトヒヤで2470の家屋とアパートを建設、および大規模改修しました。ラシュカ・プリズレン教区との協力により、セルビア正教会の教会、修道院、その他の建物45箇所を完全、あるいは部分的に改修しました。これに対し、氏はコソボ・メトヒヤ担当局を代表して、当時のイリネイ総主教からミルティン王勲章を授けられました。
コソボ・メトヒヤ担当局局長としての任期中、氏は「サンシャインバレー」居住地、バニスカの「パラダイススパ」観光・健康複合施設、新しい産科病院、数々の保健所、幼稚園、学校、記念碑など、セルビア人にとって重要なプロジェクトを数多く実施しました。
その任期中に起こった、いわゆるコソボ特殊部隊による氏への暴力的な逮捕と暴行、その後のプリシュティナの軽犯罪裁判所への連行の出来事はいまだに私たちの記憶に残っています。氏に対して「入国禁止措置に違反した」との理由で、コソボ・メトヒヤから「追放」されることが決定されています。
ジュリッチ氏はセルビア政府が発足させたコソボ・メトヒヤ問題解決のための国内対話作業部会のリーダーも務めました。2020年9月には、ワシントンでのベオグラードとプリシュティナの交渉におけるセルビアの国家代表団にもメンバーとして名を連ねています。
氏は2012年から2020年まで、プリシュティナの暫定自治機関との交渉プロセスにおいて、セルビアの交渉チームのリーダーを務めました。
氏はセルビア進歩党の創設者の一人であり、副党首を務めています。
氏は多くの叙勲、表彰を受けています。例えば、セルビア共和国のニェゴシュ三等勲章、ニコラ・テスラ勲章、ミルティン王勲章などがあります。
氏は法学士の学位を持ち、英語とヘブライ語に堪能であり、フランス語とロシア語も話せます。
氏はアンドリヤナ・ジュリッチ氏と結婚しており、3人の娘(ヨバナ、ミリツァ、ジュルジャ)の父親です。
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