アレクサンダル・ヴチッチ セルビア共和国大統領は本日のセルビア建国記念日にあたって貢献のあった個人や団体への叙勲を行いました。この際にヴチッチ大統領は「主の迎接祭を祝うことは私達の偉大な祖先に対して思いを馳せることであり、また私達が自由、そして強大で発展したセルビアを望んでいるとのメッセージを発することでもあるのです」と述べました。
ヴチッチ大統領は1835年の主の迎接祭にセルビア公国が採択した憲法が農民の所有権を謳っていることを挙げ、これはセルビアが自由な農民による国家であるとするカラジョルジェとミロシュ・オブレノヴィッチの教義を確認するものであった、と語っています。
「私達が彼ら祖先の足跡に思いを馳せる時、当時はまだ世界の強国が奴隷所有や農奴制、過酷な植民地主義といった何世紀にもわたる悪習を継承していたことを忘れてはいけません。また今日の私達がヨーロッパでも最大の成長の速度と度合いを誇り、建設と投資の国となったことは偶然でもないのです。洪水やパンデミックといった様々なチャレンジにも打ち勝ってきたことも偶然ではありません。自分たちの運命を自らの手で決めることが出来る、独立した国であることも決して偶然などではないのです。これらは全て、あの1835年2月15日に私達の自由と未来を決めることとなった渓谷に集った祖先達への義務なのです」
ヴチッチ大統領は今日のセルビアが2つの出来事を基盤として成り立っていると指摘しました。その2つの出来事は年こそ異なるものの同じ日付に行われており、私達が国の発展と強化を目指して日々の努力を続けることが、カラジョルジェ、チャラピッチ、ヴェリコ、グラヴァシュ、スィンジェリッチといった蜂起者達の功績に報いることになると語りました。
「1つ目の出来事は歴史家によると私達の国の近代史で最も重要なものとされています。自由、独立、統一を目指しての戦いの開始を告げるものであったからです。あの1804年の2月15日、オラシャッツのマリーチェヴィッチ渓谷では人々の選んだ指導者が立ち上がり、バルカンで最初の自由を求めての蜂起が始まりました。独立したセルビアを築き、また私達にとって最も価値ある修辞であり、義務、誓約でもある聖なる言葉、”自由”がこの地域で初めて戴冠する出来事でもあったのです。彼らの貢献によりセルビアは何百年にもわたる自由と独立の戦いに勝利することができたばかりか、他の民族にも自由と独立ももたらすことができました。今日のセルビアは自由と独立の砦であり、またこの地域における平和の保証者でもあるのです」とヴチッチ大統領は述べています。
「私達が新たに建設した道路、病院、線路、工場といったものはどれも、誰から何らかの見返りを求めることもせずに自由を求めての険しい、しかし美しい道を辿っていった蜂起者達の夢と犠牲に対する報いでもあるのです。蜂起の最終的な運命は失敗に終わりましたが、第一次セルビア蜂起はセルビアが自らの手によってのみ自由を獲得でき、国家として完全に機能することが出来ることを証明しています。”セルビア管理委員会”を創設するとの蜂起者達の希望はその後のセルビア人国家創設を暗喩するものだったのです」と大統領は述べました。
ヴチッチ大統領はまた今から丁度187年前、セルビアは主の迎接祭に最初の憲法を得ただけではなく、その憲法のために国家として誕生することにもなった、としています。
「それまでの歴史の中でも最大の議会がクラグイェヴァッツのプリドゥヴォル教会の中庭で開かれ、この憲法が採択されました。この大空の下にある野原で、セルビアはその国旗、国章、機関を手にし、公に自由を獲得したのです。誇り高い、農民を中心とする忍耐強い民衆が何世紀にもわたる隷属の時を経て、法の名の下にあらゆる枷を廃止し、奴隷のなき、万人が平等で、権利と自由を手にし、政権には必ず制限が伴うという近代的国家をこの野原で築いたのです」と大統領は強調し、この日付をもってセルビアはその国家体制からフランスやベルギーと肩を並べ、ヨーロッパでも最も近代的な国家になったと語りました。
大統領は演説の中で、勇敢な祖先の功績により今日のセルビアは自由と独立、安定、威厳、そしてあらゆる国との和平を獲得した国となった、とも付け加えました。そして、そのセルビアに様々な業績によって貢献した者全てに感謝の印として勲章を贈呈する、と語りました。
「受賞者達の名は永遠に記憶され、私達の祖先が言葉ではなく、明確な思想によって書き始めた、偉大で素晴らしい本のページに記載されることになります。今日に生きる私達はその本が決して終わることがないことを念頭に、懸命に書き続けていくのです」とアレクサンダル・ヴチッチ セルビア共和国大統領は締め括りました。